猫とワタシ

ご供養物語

2014年6月 大日如来さまに導かれて始まった 広く深い故人のご供養のお話

この記事のみを表示する64番目はひろ江さん

供養

 ご供養はさせていただいたものの、記録が遅くなりました。

今日のひろ江さんは、11月19日にご供養させていただいた方です。


ひろ江さんは、しっとりと良いところの奥さま風に見える方でしたが、お話を伺うと そういうことではなく・・・

幼いころに親と別れ、置屋で暮らすようになったそうです。
置屋 というのは、芸者や遊女を抱えている家のこと。

幼い頃は姐さん方のお世話や、おかあさんと呼ぶ置屋のおかみさんに指示された雑用をしていました。

その様子が変わったのは、14~5歳の頃。
雑用はなくなり、唄や三味線のお稽古に行くようになったそうです。

そして綺麗に髪を結ってもらい お披露目があり・・・
やがて お座敷にも声がかかるようになりました。

そんなある日 ひろ江さんは初めて 男の人に抱かれました。
何もわからないまま 言われるままに身体を開き やがて 痛みだけが残りました。

それでも 子どもを身籠ったのです。

おかあさんや お姐さん方にも 男衆にも もちろん ひろ江さん自身が気が付かず、臨月を迎えました。

驚いたのは大人たち。
それでも生まれた男の子を お寺に預け、ひろ江さんは芸の道に精進しました。

そして 押しも押されぬ その置屋の一番の稼ぎ手になったのでした。


 好いたおとこはんではなかったけれど、身請けされ 人の妻にもなりました

既に 子を産める年齢ではなかったので、その男性と添い遂げましたが、気掛かりは若いころに産んだ我が子のこと・・・

ひろ江さんは、そう言って袖で顔を隠しました。

どんな風に育ったのか
母を恨んではいまいか
全うに生きてくれたのだろうか

そんなことが気に掛かる と言いました。


それでは 息子さんに来ていただきましょう。


ひろ江さんに面差しのよく似た男性がやって来ました。

私はもらわれ子として育ちました
けれど、それで苛められたり 蔑まれたりしたことは一度もありません
おとうさんもおかあさんも それは優しい人でした

私がもらわれて行って数年後 ふたりに子供が生まれました

そのことも、私が居たから 二人目を授かった と喜んでくれて・・・
申し訳ないほど 実の母のことは考えずに生きました

もちろん 家督は弟が継ぎました
それでも 弟も私を大切に考えてくれましたから、こころ穏やかに過ごすことが出来ました


その話を聞いて、ひろ江さんは静かに涙を流していました。

私はただ 子を産んだだけ
それでも どんな風に生きたのだろう と気に掛かっていました

人の子を これほどまでに大切に育ててくださって・・・
感謝しても感謝しきれません

そう言って 息子さんの手を押し抱きました。

お母さん 産んで下さって ありがとうございました

優しい笑顔で 息子さんはそう 言いました。

ひろ江さんと息子さんは しっかりと手を取り合って 光の元へと 還っていきました。


ありがとうございます(^人^)
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この記事のみを表示する63番目は木村屋さん

供養

gokuyo6y14.jpg

りんどうと孔雀草から 紅色の小菊に変わりました。
もう少しすると、黄色い小菊が咲き始めます。

そんな63番目のご供養は、芦屋小雁さんによく似た 木村屋さんのご主人です。
代々昆布の卸問屋をされているそうです。

どんなことが気に掛かっているのでしょうか?


あたしはねぇ とても気が小さな男でねぇ

そんな風に話を始められました。

昆布はねぇ 北海道のものが一番!
でもねぇ 運ぶには船を使います 
それが長旅でもあるので、時には届かないこともあってねぇ
もう あたしはそれが心配で心配で 気の休まる時がなかったのよ

あたしはそれでもやってきたけど、息子にねぇ 譲ったわけでしょう
どうなったか 気になってねぇ
あの子に あたしと同じ 心配ばかりかけたんじゃないかと 心配なの

あの子は大丈夫だったかしらねぇ


喋り方は 少し女性っぽい方ですが、心配性ながらしっかりと商いをされ、息子さんに譲られました。
でも 心配な部分も一緒に譲ってしまったことで、息子さんをとても心配されていました。

息子さんに来ていただきました。

おやじさまは 本当に心配性な方でした
それはそれとして、あまりに心配ばかりするもので、おふくろさまと笑うこともありました

そんな風に生きたので、おやじさまほどの心配性にはなりませんでした

そうでしたか。

はい、それに おふくろさまとも相談し、昆布で大儲けをした後は、すっぱりと商い替えをいたしました

おやじさまには 申し訳ないと思いましたが、天候に左右される商売ではなく時流に乗った商売をしようか とおふくろさまと話がまとまりまして・・・

おふくろさまがハイカラな人だったので、洋装 に手を出したのです
それが成功しましてね

デパートにも店を出していた時期があります

木村屋という屋号を残すため、元の店を改装して 着物と洋装と両方並べたりもしました
私たちは 実に堅実に商いを続けたと胸を張っておやじさまに報告することが出来ます


そんな風に仰いました。

それを聞いて、ご主人は 涙をにじませながら 良かったよかった と繰り返しておられました。

息子さんの前に出てこられたご主人は、嬉しそうに息子さんの手を取り言いました。

あなたがあたしほどの心配性でなくてよかった
考えれば、あなたには おふくろさまがついていたんだものねぇ
あの人は しっかりものだったから

そう言って、にっこりと笑いました。

その ご主人の奥さま - おふくろさま、ご主人のお母さまも出て来られて、若かりし頃のご主人の小心者ぶりを皆さんで笑っておいででした。

もちろん ご主人も大笑いされていましたよ。

そして 皆さんで 一緒に光の元へと 還っていかれました。



ありがとうございます(^人^) 




この記事のみを表示する62番目は紀代之進さん

供養

 ご供養が楽しい というと語弊があるでしょうが、また一人 こころ軽く光の元へと還っていただけた と思うことが、とても嬉しいです。

さて 今夜ご供養を希望されたのは、まだ 幼さの残る方でした。

お名前は 紀代之進さんと仰います。

どうされましたか?

私の名前は 紀代之進と申します
皆は 紀代さま とか 若さまと呼んでおりました

父を知らずに育ちました
母のことも知りません
あとから思えば、祖父母にあたるような年齢のものたちが、私の世話をしてくれました

屋敷から一歩も外へ出たことがありません
同じ年代の子供にも 会ったことがありません

それでも 毎日決まったことを 言われた通りにやって生きていました

ある日 あれは私が6歳の誕生日を迎えた朝のことでした
切腹を仰せ付けられました

切腹が何かもわからないまま 気が付けば私は死んでいました

私は何のために生まれたのですか?
何のために 生きたのですか?
そして 何のために死んだのですか?

それを知るまでは光の元へと還ることが出来ません


はきはきと そう仰いました。

どうしましょう? と上の方に聞いてみました。

当時の身の回りの世話をしていた者を呼びなさい

そう教えられましたので、じいやに来てもらいました。


そうですか・・・
若さまがそう 仰るんですね
無理もない・・・

じいやさんは 次のような話をしてくれました。

若さまは 殿様のお子でしたが、跡目は取れない立場のお方
それでも もしものことがあれば、と大切にお育て致しました

ほぼ 同時に男のお子が生まれたのです
あちらが跡目をとることはわかっていましたが、それでも事故があれば 紀代之進さまの世になります
ですから あちらとまったく同じようにお育てしました

しかし 存在を他のものに知られては困る
ですから、お屋敷の外に出ることはありませんでした
すべて おとなが若さまのお相手をしていました

それが あちらに非がなく殿様が後継ぎとする とはっきり仰せられたので、若さまは用無しになってしまったのです

切腹・・・

それも素直に決行なさいました

不憫で不憫で・・・

そう 涙を流しました。

それでも 若さまは なぜ? と仰っておいでなのですね?
それは 異なこと
なぜ? 
どうして?
そういう言葉は、一度も使われたことがありませなんだ

そう話しているとき 紀代さまが出て来られました。


そういうことだったのか

こちらに来てから いろんな人にいろんなことを教えてもらった
私の生き様を話すと ほとんどのものが 今の話と同じようなことを言った

だから きっとそういうことだろう とわかっていたのだが、それでも はっきりと知りたかった

若さま・・・


こちらで永く居たから、じいたちに教えてもらったこと以上のことを 私は学んだのだぞ^^

そう言って 紀代さまは高らかに笑いました。

さあ もう用が済んだから 私は一足先に還るぞ

そう言ったかと思うと、一足飛びに光の元へと還っていきました。

ふう・・・

大きなため息をつき、ありがたいことです・・・ そう言うと、じいやはゆっくりと光の元へと還っていきました。


ありがとうございます(^人^)

この記事のみを表示する61番目は五郎さん

供養

そろそろ りんどうにお疲れ様 を言おうと決めたので、りんどうで行う最後のご供養です。

林檎もあったのですが、前日に作ったアップりパイを食べていただくことにしました。
念のため 聞いてみましたら、良いのではないですか? と。

実際に五郎さんに召し上がっていただきましたが、ハイカラですね と笑っておいででした。

さて ご供養に戻ります。


五郎さんは船頭さんでした。
朝は早くから 川漁に出掛けます。
帰って来てひと休みすると、今度は渡しの船頭さんになります。

そうやって一日中 舟に乗っていました。

ある日 ふと水面を見ると 幼子がうつ伏せに浮かんでながれてきました
慌てて 救い上げると、まだ息があることに気が付きました
周囲を見渡しても 誰も姿が見えません

ひとまず家に連れて帰ろう

着ているものが自分たちとは違う良いものだったので、嫌な気がしたそうです
そこで 絹の着物は脱がして 自分と同じ木綿の粗末な着物を着せました

しばらく様子を見ていましたが、どこからも何にも聞こえてきません

それでも心配になり、五郎さんは商売道具の舟で 町を出ました

それから10数年が経ち、五郎さんは元いた町に戻ってきました
三太と名付けた男の子も一緒です

町の様子はさほど変わったようには見受けられませんでしたし、人探しの話も誰からも聞くことはありませんでした


何が気掛かりなのですか?

三太は何か事件に巻き込まれていたんじゃねぇかと思います
あっしなんかとはまったく別の世界に生きるはずだった
あの時 お上に 届け出ていたら、三太なんていう名ではなく 立派な名前で生きたんじゃねぇか

そう思うと、申し訳ない気がします
一方で、申し出ていたらせっかくあっしが拾った命を むざむざ散らすことになっただろう という思いもあるんでさぁ

どっちにしても、三太はどんな風に生きたんだろう って気になりましてね・・・

わかりました
では三太さんに来ていただきましょう


三太さんは、見事に変身されていました。
名前も 今は三太ではありません。

五郎さんをご存知ですか?

はい 五郎は私の父親 いえ おとう です
実の父ではなかった と後でわかりましたが、それは大事にしてくれました

そうでしたか

おかしいとは思ったのです
船頭のせがれなのに、学問所に通わされました
粗末な着物を着ているのに、生活も決して楽ではなかったのに、
なぜか おとうは学問を習え と言い続けました

おとうが死んで、身の回りのものを整理していて見つけたのが絹の着物でした
小さな男の子用の絹の着物・・・
そこには おとうの読みにくい字で ばんしょにいってみせろ と書いた紙がありました

結果 私は旗本の血筋だとわかりました

行儀見習い と言いますか、書生と言いますか そう言った名目でお屋敷に引き取られ、その後養子縁組をし、今は跡目を取っています

慣れるまで大変でしたが、おとうが学問所に行かせてくれていたおかげで、仕草や言葉使いは笑われても 知識で笑われることはありませんでした


三太さんは そう 勢い付いて話してくださいました。

五郎さんは その話を涙を拭きながら聞いていました。

三太!

おとう!!

ふたりはしっかりと 抱き合いました。
抱き合って、背中をたたき合って そして 泣いていました。

しばらくして、三太さんが言いました。

おとう 私の妻と息子に会ってください

五郎さんは一瞬ひるんだ様子を見せました。

おとう 何も心配はいらない

三太さんはそう言って笑いながら、同年輩の女性と男の子を呼び寄せました。

ふたりは五郎さんにとても優しいまなざしを向け そっと手を差し出しました。

ありがとうございます
あなたさまが夫を育ててくださった いのちの恩人ですね

とても優しい美しい声で、そう言いました。

五郎さんは、思わず膝をついて その手を押し抱きました。
すると 妻女も膝をつきました。

困ったように三太さんを見上げる五郎さんを見て、三太さんは大笑いしました。

おとう 私の妻はおとうを見下すような人ではありませんよ


やがて 光のシャワーを充分に浴びた 五郎さんと三太さんがゆっくりと長い階段を一段ずつ 昇りはじめました。

五郎さんの足元を見て、笑いながらゆっくりと昇っていきます。

その 数段後を三太さんの妻と息子が やはり 楽しそうに笑いあいながら 昇っていきました。


ありがとうございます(^人^)

この記事のみを表示する60番目は高子さん

供養

なぜなの? と思うほど りんどうが元気で 綺麗です。
少しアングルを変えて 写真を撮ってみました。

りんどう6y07


このりんどう、10月16日に買い求めたものです。
これまでに 5~6つ茶色く変色したものを取り除きましたが、まだまだ 小さな蕾が膨らんでくるのです。

その後買い求めた孔雀草も 綺麗に開きました。

そんな今日は、果物がなかったのですが炊きたてのご飯でご供養させていただきました。


 今夜ご供養を希望されたのは、高子さんと仰る女性です。

白地に淡いピンクやブルー イエローの大き目なかすり模様が夏の装いにも思えますが、着物姿の素敵な方です。

申し訳ありませんが、足を崩させてください

すぐにそう言われ、正座を崩して座られました。

どういうことでしょう?


 私は早くにふた親を亡くしました
炭鉱の町で生まれ 炭鉱の町で親を亡くし、そして学校を卒業して私も働いたその炭鉱で、足が不自由になりました

その炭鉱も私がまだ10代の頃 廃坑になり、町の人たちと一緒に都会に出ました
そこで私は 住み込みのお手伝いさんになったのです

煤だらけできつい仕事をしていたことを思うと、慣れないことをお手伝い頭のおばあさんに叱られることも多くありましたが、とても楽しく過ごしました

そこには、私よりも 少し年上のお坊ちゃまがいらっしゃいました

そのお坊ちゃまと見交わす目と目が なんともロマンチックで 幸せな思いでした

しかし 戦争が私たちの仲を引き裂いたのです

お坊ちゃまは戦地に赴きました

お手伝いさんたちはみな 疎開して私と旦那さまだけになりました
そんなとき 旦那さまが仰ったのです

夫婦にならないか と

奥さまは既になく、お坊ちゃまも生きて帰るかどうかわからない
そんな状態でしたから、高子に渡したい と仰ったのです

親もなく 兄弟姉妹も頼れる親戚もいなかった私は、こんな幸せがあるのか と頬をつねりました

夫婦になる事が どういうことか しっかり知らないまま 旦那さまと結婚しました
旦那さまは私の身体を無垢の状態から おんなへと 変えてくださいました
めくるめく世界を 私たちは楽しみました

不謹慎と言われても それしか なかったのです


やがて 戦争が終わり、お坊ちゃまが帰ってこられました
お手伝いのつもりで 私に用を言いつけたとき、旦那さまが仰いました

高子はもう お手伝いではないのだ
おまえの母親なのだから、大切にするように

お坊ちゃまの驚きようは 言葉では言い表せません

しばらくすると 家を出て行かれました
そのまま 消息が途絶えました

お坊ちゃまに裏切った と思われたままなのが切ない
本来なら お坊ちゃまが相続するはずのものを私が受け取ったことも 申し訳ない

高子さんはそう言って 涙を拭きました。


わかりました では お坊ちゃまに来ていただきましょう

その方は高志さんと仰いますが、いかにも成功者 といった風情で現れました。
高子さんのお話を伝えると こんなことを言われました。


母とは いえ 高子とは特に言い交した仲ではありませんでした
ですから 誰と添い遂げても私に文句はありません
ですが、父親と夫婦になっていたことは 本当に驚きました

同じ家の中で、私より若い女性を母親と呼び、父親がその女性を愛するさまを想像するのは酷でした
だから 戦友を頼って家を出ました

結果 戦友たちと事業を起こし、成功したのです
戦友の妹を妻にし、子供も生まれ とても幸せに暮らしました


そうでしたか・・・
高子さんとも お話し下さいね

高子さんは気恥ずかしそうに 出て来られました。
思いは 目と目を見交わし ロマンチックな気分を味わっていた 乙女の頃に戻っていたかもしれません。

あなたにお返ししなければ と思いながら、消息を掴むことが出来ないまま こちらに来てしまいました


ああ そのことですね
おかあさんが亡くなってしばらくしたころ 幼馴染に町で声を掛けられました
そして 父もあなたも亡くなったことを知らされました

ですから その後の片付けはみな 済ませてあります
何も 心配には及びません

高志さんはそう言って 笑顔をみせました。

そっと手を出す 高子さん。
その手を 高志さんはしっかりと 握りました。

ありがとうございました
幸せになってください

高子さんがそう言うと、高志さんも返しました。

私の方こそ 父の面倒を見てくださって ありがとうございました
次の世では 幸せになってください


そっとつないだ手を離すと、静かに高子さんは光の元を目指しました。

しばらくして 高志さんも光の元へと還っていきました。


ありがとうございます(^人^)